2026/3/12 哲学対話を開催しました
3月12日(木)、本と文化コギトにて2回目の哲学対話を開催しました。
時間は18:30〜20:30(開場18:00)。
参加者は6名で、そのうち5名が初参加、1名が継続参加でした。
今回のテーマが決まるまで
まずは、いつも通り「問いだし」から始まりました。
参加者それぞれが、最近気になっていることを持ち寄ります。
たとえば、
- どうすれば自分の思いを上手に他人に伝えられるか
- どうすれば怒っている人にうまく対応できるのだろう
- どうして人は不安を感じるのだろう
といった問いが出されました。
この問いだしの段階から、お子さんや家族との関係、職場の人間関係、人と人との行き違いはなぜ生まれるのか、といった話題が自然に広がっていきました。
その中で場に流れていた共通の感覚として、こんな言葉が出てきました。
「いろいろな問題があるけど、結局、人って問題を解決したがるよね」
そんな流れを経て、この日のテーマは
「なぜ人は、問題を解決したがるのか?」
となりました。
「解決」って何だろう
対話の中では、まず参加者の方から
「解決の定義って何ですか?」
という問いが出されました。
話していくうちに、「解決」という言葉の意味そのものも、人によって少しずつ違っていることが見えてきました。
たとえば、
- 心がモヤモヤしなくなったら解決
- 気持ちが良くなったら解決
- そもそも「解決」は自分本位なものかもしれない
といった意見が出ました。
普段、何気なく使っている「解決」という言葉を、こうして立ち止まって考える機会はあまりないように思います。
こういった言葉の一つ一つをじっくり考えるのも、哲学対話ならではの時間だったように思います。
解決の先に何を望んでいるのか
今回はとくに、親子関係にまつわる話が多く出ました。
子どもに怒りすぎてしまうこと。
子どもが友だちに嫌われないよう、つい口出ししてしまうこと。
けれど周囲からは、心配しすぎだと言われること。
そうした語りの中で、こんな問いが出されました。
「お子さんの問題が解決した先に、どんな状態になっていてほしいですか?」
すると、ある参加者の方が
「よくよく考えると、解決の先にどうなってほしいかなど無いかもしれない」
と話されました。
その方自身の中で、自分は目の前の子どもの行動に対して、条件反射的に怒っているだけなのかもしれない、という気づきがあったようでした。
その言葉を聞きながら、私自身も目の前の出来事に対して、本当に何かを目指しているのか、それともただ条件反射的に「解決しなければ」と動いているのかを、考えさせられました。
問題をそのままにしておくとどうなるのか
そして、この日、とても印象に残ったのが次の問いです。
「問題を解決せずに、問題のまま置いておくとどうなるんですか?」
この問いをきっかけに、対話はさらに深まっていきました。
- 問題を問題のまま置いていても、意外と何とかなっていることも多いかもしれない
- ある事柄や人を「問題だ」と定義しているのは、自分の側ではないか
- 他者を問題化して、解決しなければならないと思い込み、空回りしているのは自分かもしれない
- 人は問題を解決したがるからこそ生きていける面もあるのではないか
- 相手を注意・指導する際にも、愛情・思いやりの有無が自然と伝わるのではないか
- 自分の不安を落ち着かせるために、相手を「問題化」していることもあるのではないか
そのようにして、問いは少しずつ核心へと近づいていきました。
「まあ、今日はこれでいい」と思える日
高齢の肉親と暮らしている参加者の方が、こんなことを話してくださいました。
いろいろと喧嘩したり、なだめたり、すかしたり、聞こえないふりをしたりしながら暮らしている。
そんな時でも、ある日、いろいろあるけど「まあ、今日はこれでいいか」と思える日がある。
私はこの言葉を聞いて、問題は何も解決していないけれど、
「まあ、いっか」と思える日が自分にもあることに気付きました。
問題を解決することだけが大事なのではない。
問題が残ったままでも、「今日はこれでいい」と思える感覚の中に、
日々を暮らしていくためのコツのようなものがあるのかもしれない。
そんなことを感じました。
2回目を振り返って
今回も、「問題」とは何か、「解決」とは何かを、参加者のみなさんと一緒にさまざまな角度から考えることができました。
年齢も立場も経験も異なる人たちが集まり、語り合う中で、考え方の違いが摩擦ではなく、新しい視点の入口になっていく。
そこに哲学対話の面白さがあると、今回も感じました。
私自身も、誰かを「問題化」しようとしたときに、
「これは自分の不安を投影していないか?」
と立ち止まって考えるようになりました。
参加してくださったみなさんの日々に、哲学対話の時間が、小さな気づきとして残っていたら嬉しいです。
心地よい温泉のような場
最後に、初参加の方からいただいた感想の一部を紹介します。
哲学対話は、心地よい温泉の様な場でした。
初対面の方同士だったので 「肩書き」を無くして話やすかったのかも。
自分の「こう思われたい」「こう思われたくない」を取っ払って話せたのも大きかったかも。
逆を言うと、普段はそこに結構縛られてしまってるんだな、と。
この感想を読んで、私もとても共感しました。
哲学対話は、正しい答えを出すための場ではなく、普段自分を縛っているものを少しゆるめながら、安心して言葉を交わせる場なのかもしれません。
興味のある方、ぜひ、参加してみてくださいね。
参加して下さった皆さん、本当にありがとうございました。
次回の、哲学対話もとても楽しみです。



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